心安らげる故郷に帰ってきた。
二年ぶりにこのブログで文章を書きながら、そんな感覚を味わっている。
自分の一人称は「僕」だったか。文体は「です・ます調」だったか。そんな事も忘れてしまった。
過去の文章を読んでみたが、PR記事を最後に更新が止まっているのを見て笑ってしまった。
記事の更新が止まっている間、僕は文章から離れてどっぷりYouTubeに浸かっていた。
好きな服を紹介するだけの動画をきっかけに身の回りの環境が変わり、YouTubeを始めて良かったと心の底から思っている。
その一方で、動画の投稿を続けながら、自分の神経を知らないうちにすり減らしていた。
服を買う理由
いつものように酒屋で他愛もない話をしていた時、ふと「服を買う理由」について話すことになった。
僕は服が好きだ。選ぶ時も、着る時も、語る時も。去年も一昨年も狂ったように服を買い漁っていた。服を通じて自分の心が豊かになる感覚があるから、僕は服を買う。
いつもはこんな持論を得意げに話しているのだが、この時ばかりはビールジョッキに口をあてて話をはぐらかしていた。
ほろ酔いで帰路につきながら、自分が「服を買う理由」について考えを巡らしていた。
身に纏わない服
いま、YouTubeで紹介した「Uniqlo Uの服」が綺麗なまま畳まれているのを見ながらこの文章を書いている。
包み隠さず話すと、この服は「再生数」と「チャンネル登録者数」を増やすために買った。言い換えると、僕ではなく視聴者のために服を買っている。
僕が作るUNIQLOのコンテンツは多くの人が興味を持っているらしい。自惚れているわけではなく、単純にUNIQLOの服の情報は需要が高いからだ。
そして、その情報に感謝される事は嬉しい。自分の動画をきっかけにネット上の人と交流を持つことができた。そういった背景もあって僕はUNIQLOの服を日頃から手に取るようにしている。
では、その手に取った服を日常的に身に纏っているのかと問われると、自信を持って首を縦に振ることができない。
服好きであれば「買ったけど着ていない服がある」ことは珍しくないかもしれない。ただ、YouTubeを始めてからというものの、そんな服にクローゼットの中を蝕まれている感覚がある。
他人の機嫌を伺って買った服
いまの状況に釈然としないまま、YouTubeの動画投稿を一度やめることにした。
企画の設計、撮影、編集、再生数の確認。今まで日常的に行っていた習慣がなくなったことで、一気に肩の荷が降りた。
そして、YouTubeから離れている間、僕はいつものように服を買い漁っていた。いつも通り着なくなるような服もあるのだろう。
調子良く服を買い進める中で、一つ気づいた事がある。僕のクローゼットの中を蝕んでいるのは「他者に気を遣って買った服」であるということ。
一着だけ買うつもりだったUniqlo Uの服。視聴者の要望に応じて着ない服をもう一着買ってみたり。ブランドの展示会に招待され、付き合いで服を買ってしまったこともある。
僕が神経をすり減らしていたのは、他人の機嫌を伺うようにして服を買っていたからだ。
人と服
僕は自分の心を豊かにするために服を買っている。
繰り返すようだが、僕は服が好きだ。選ぶ時も、着る時も、語る時も。
そして「服が紡ぎ出す人との関わり」が好きだ。
YouTubeで紹介した服の中には、自分以外の他者のために買っているものがある。結果的にインターネット上でたくさんの人と繋がることができた。
友達が運営するブランドの服は応援したいという純粋な気持ちで買う。友達が勧めてくれた服は好きな人の感性に触れてみたいという興味に任せて服を買う。
好きな人が関わる服やモノに囲まれるだけで幸せな気持ちになれる感覚がある。ただ、自分の意志を捨ててまで、関わりを求めていては本末転倒である。
僕は自分の好きな服を着る。
そうやって生まれた人との繋がりを大事にしたい。
さて、手元にはこの前買い漁った服がある。
気が向いたら、自分の好きな服についてだらだらと語ろうか。